2005年06月03日

迷宮百年の睡魔

『迷宮百年の睡魔』(新潮社)森博嗣
すべてを彼女は知っている。
すべてを彼女が操っている……。

腰巻に書かれている文章であります。
読み終えて分かるこの文章の重さ。
というわけで、『迷宮百年の睡魔』を約1ヶ月をかけて読了しました。
昼休みにコツコツと読んできたんですが、眠くなっちゃってなかなか読み進みませんでした。
決してつまらないわけではないんですが…。

感想を一言で言うと「初めてホラー映画を見た時のような衝撃」であります。
何て言うか、胸の奥からドキッと来る震えを覚えるような感じ。
決してホラー小説ではありません、念のため。

この読んでいて覚えた恐怖感というのは、自分が目で見て頭で考えて、思い通りに行動する、という普段当たり前に行っている生命活動について疑問を持たされるためだと思います。
自分という存在は、明らかに自分以外の存在と一線を画した違いがあります。
それは、なんていうか適切な表現が見つからないですが、内側か外側かという違い。
この内側の部分に焦点をあてていると思います。

小説の中で登場人物は「まるで小説のようだ」と言うことはあっても「まるで現実のようだ」とは言いません。
彼らにとってはそれが現実であり、外側の我われにとってはそれが小説なわけです。
小説を読んでいて思うのは、結局小説という箱の外には彼らの存在も世界もない、水槽の中で書き手がプログラムしたジオラマのようだ、ということ。
小説というのを書いたことが無いし、物語を創作するという作業は小・中学生のころ国語の授業で強制的にやらされたことがあるくらいですから無責任なことを言いますが、そこを悟られないようリアリティが要求されるし、作家はリアリティを追求するものだと思います。
しかし、この作品にはそんな既成概念というか、ワシの固定観念を打ち砕く自由さを感じました。
ひょっとして、そういう作風をファンタジーというのかな?

まだまだ言いたいこと、思ったことは多々ありますが、ここで必死に熱弁を振るっても誰も読んじゃいないんだし、このへんで。
今回は素敵なフレーズがたくさんあったので迷いましたが、中でも印象的なものをここに残しておきます。
人間の傾向とは、ものごとをクリアに、より明確にしたがること。我々は、宇宙の未来に何も残せないことを知っているのに、こうしてこつこつと有限の時間を刻んで、自分たちのためだけに彫刻を創り上げようとしている。いずれ朽ち果てるための一時の形を求めようとしている。
まさに、このブログがそうです。
たくさんのブログ執筆者がいますから、いや私はそうじゃない、と仰る方もいるでしょうけど、ワシはそのとおり、自分たちって言うか自分のためだけにこうして記事を書いています。
科学的に説明ができないものは実在しません。今は不思議でも、いずれは明らかになります。不思議とはつまり、将来の理解への予感ですね。
森先生の講演会を名古屋大学で拝聴したとき、森先生は「世の中には不思議なことがたくさんあります」と仰ってました。
森先生の講演を拝聴したあとはその衝撃で凝り固まった脳みその鱗が落ちた思いでした。
「不思議」と「科学」の面白さに今頃気づくとは、と、心底残念でありました。


posted by skip at 21:15| Comment(0) | TrackBack(1) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 森博嗣さんの百年シリーズ第二弾・「迷宮百年の睡魔」です。 前作「女王の百年密室」の後のお話になります。 一夜で周囲の森が海になったという伝説の島イル・サン・ジャック。 その島の王..
Weblog: スカイ・フロータ
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